甲子園

斎藤佑樹選手の引退について思うこと

甲子園

すごく野球を楽しませてもらった

すごく高校野球に夢中になった

その中心にいた選手の一人だった。

高校野球、それを一つの大会だけ観てるよりも、

毎年毎年続けて観ていることで、そのドラマ性をすごく感じる。

 

その年、田中将大選手を擁する駒大苫小牧と斎藤佑樹選手の早稲田実業が決勝でぶつかり、

最初の試合は延長15回で決着がつかず、再試合になり、2試合とも先発完投した斎藤佑樹選手の早稲田実業が優勝したのはとても有名な話。

ただ、敗れた駒大苫小牧には選手権の3連覇がかかっていた。

つまり、その決勝は、ただその大会の決勝であるだけではなく、

田中将大選手にとっては、高校3年間の夏の甲子園を、すべて優勝すると言う偉業に向けての

まさに最後の試合だった。

もっと言うと1年目の優勝は、

男女共学に替わって間もない、小泉純一郎首相が、その校歌の中にある歌詞

「やればできるは、魔法の合言葉」を引用した、

そして、春の甲子園では準決勝でダルビッシュ選手を擁する優勝候補筆頭の東北高校を逆転サヨナラホームランで降して優勝し、

そして当時、松坂大輔選手の横浜高校以来の春夏連覇を達成すべく決勝まで駒を進めてきた、

と言うように、話題で事欠かない、というか、

この大会で明らかに「主役だろ」と僕が勝手に思っていた、

2年生エース福井優也(広島→楽天)を擁する済美高校が決勝の相手だった。

 

あくまでも僕のイメージだけど、流れでいうと、

ダルビッシュ擁する東北高校と涌井(西武→ロッテ→楽天)擁する横浜高校が優勝候補だった大会で、

春夏連覇を目指していた済美高校が駒大苫小牧とぶつかった決勝、

翌年、

辻内・平田・中田翔擁する超強力大阪桐蔭が優勝候補だった中、

それを接戦の末破り、夏連覇を果たした駒大苫小牧、

そしてその翌年、

同じように決勝まで駒を進めた駒大苫小牧、

MAX150キロの田中将大を擁し、勝ち方を知るチーム、

この年の主役は駒大苫小牧だろうと僕は思っていた。

もちろん斎藤佑樹選手が勝ち進んでいたのは知っていた。

斎藤佑樹選手が爽やかに勝ち進む姿は、松坂大輔選手の横浜高校が優勝した大会での、浜田高校の和田(現ソフトバンク)と姿が重なって見えていた。

それでも駒大苫小牧が勝ち進んだ「歴史」みたいななものには神懸かり的なものがあった。

ただ、決勝の最初の試合が引き分けになり、2試合目、先発連投を回避した田中将大投手に対し、

先発連投してきた斎藤佑樹投手を応援するエネルギーのようなもの、

何か不思議な後押し感のようなもの、それが画面越しから伝わってきた。

 

あの頃、僕はとても高校野球にハマっていた。

高校生ではなかったが、毎年見続けて発見するものや感じるものがあった。

それを与えてくれたのが、斎藤佑樹選手や田中将大選手、福井優也選手だったりだった。

 

なので、斎藤佑樹選手と福井優也選手が揃って早稲田大学に入り、

元巨人のエース、菅野智之投手を擁するメチャクチャ強かった東海大学を降して、

大学最後の年の最後の神宮大会で優勝し、大石達也投手も加わりその年のドラフトを賑わしたのは、とても興味深かった。

 

その間、田中将大投手は、プロで着実に成績を残していた。

 

ちなみに斎藤投手と田中投手がガチンコでぶつかった決勝の翌年、

甲子園の決勝は、僕の隣県の佐賀北高校が旋風を引き起こし、

野村投手(広島)と小林捕手(巨人)を擁する広陵高校を逆転満塁ホームランで降して優勝した。

佐賀北高校が、ひとまわりはカラダがデカそうな帝京高校に勝った時は、本当に驚きだった。

 

高校野球にはドラマがある

 

そして見続けていたことによって自分なりに気づくドラマがあった。

 

そういった楽しみを与えてくれた斎藤佑樹選手、

 

灼熱の甲子園で熱闘を繰り広げながら、爽やかにハンカチで額の汗を拭き取る姿、

 

何も持たなかった僕も頑張ろうと思えたり、あの姿を見習いたいと思ったり

そんな瞬間があった。

 

プロでの生活は苦悩の連続だったのかもしれないけれど、

いろんな人に勇気や感動を与えたのはたしかだと僕は思います。

 

僕としては、当時、高校野球、甲子園がとても楽しかった。

 

「ありがとう」と「プロ生活、お疲れ様でした」と、素直に言いたいですし、

灼熱のマウンドでも爽やかに魅せることができる姿、

 

本当にすごくカッコイイです。

 

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